価値がない、必要ない

行動が慎重な私を変えたくて、つらそうな、でもやりたいバイトを選んで始めた私である。

 

覚えること多いし、学校はわけわからんテストあるし、あわあわしながら、なんとか耐えて、やっぱり充実したように感じてきた。

 

そして、バイトという行動になれ、大学生活に慣れ、勉強することに慣れ、私の毎日は、やっぱり充実というか、つまらなくない、虚無感に襲われないような日々となっていった。

 

先日、私の高校の時の友達が、毎日の生活に苦しんでいる姿を見た。

 

それが、とても胸に刺さった。

 

そして、自分は苦しむのから逃げる道を作っているだけだと、当たり前のことを思い出した。

 

無理やり毎日を忙しくして、挑戦してるって自分で思い込みたかった。たぶん。

 

back number様のbird's sorrowという曲の一節を思い出す。

 

 いつでもそうなんだどっかで誰か泣いていてその隣の部屋では誰か笑っていて繰り返す日常と2度と来ない特別な今日が同じ空の下淡々と流れていく

 

これだ。

 

挑戦して、忙しくしたけど、結局慣れて淡々と流れているだけだ。

 

しかも

僕は何もできずにそれを眺めている

だし。

 

はい心に突き刺さる。

これ自分のことじゃん。

 

ほんとにやりたいこととか大事なことは、何もできずに、慣れている日々を流しているだけ。

 

 なんで勉強してるだろうって思いながら、今日も勉強しているし、明日も勉強している。

 

自分のやりたいことは、何もやってない。

 

あと、もう一つ、気づいた。

 

自分は慎重なんじゃなくて、ただの怖がりなんだ。

 

何かに失敗するのが怖いんだ。

 

怖くて怖くて、怖くて怖くて、仕方がない。

 

だから、たぶん自分から失敗しない道を選んでいるんだ。

 

慎重な自分を変えようっていう考えが間違っている。

 

 怖がってばっかいるから、2度と来ない特別な今日が同じ空の下淡々と流れていく。

 

怖がってばっかいるから、いつもと同じような1日を七回繰り返す。

 

この歌、初めて聞いた時は、特別っぽい日も結局は、普通の日々で、特別に感じるのはあなただけだから、背負うのはやめなさいって歌かと思ったけど、今は全然そういうふうに聞こえない。

 

つまんない毎日過ごしている自分の情けなさに気づけって歌に聞こえる。

 

少なくともサビの部分は。

 

 刺さる、刺さる、刺さる。

 

そしてまた今日という一日が終わって同じような明日が始まる。

 

結局この虚しくて、愛がなくて、心からの喜びが無いような、日々から抜け出せない。

 

心がときめくような素敵な恋に落ちたり、時間を忘れてしまうような趣味ができたり、そんな非日常的な出来事によって、このつまらな

い日々が変わってくれますように。

 

願わくば、自分の目標へ、、その目標に向かうことで他のことを失敗することを恐れている自分が、かわれますように。

 

 

おしまい

ポジティブモンスター

初めてバイトというものを経験して

 

いろいろな説明を聞いて

 

相手に感謝されるって素敵なことだなと改めて感じた。

 

なにか、一生懸命に生きたいなと感じた。

 

今までやったことないことをして、少し良かったかもしれないと思った。

 

 

さぁ、次はもっとおおきな挑戦を。

 

 

 

今年は去年よりもっとポジティブに生きよう。

 

 

いつか書いた気がする。

ポジティブモンスターになりたいって。

 

 

それ、やっぱりwant toだからだめ。

 

 

なることを目標としたい。

 

 

これは、今年の2つめの目標としよう。

 

 

弱音を吐くのは簡単

 

だけど、それは自分の可能性をつぶしてる。

 

無理って思ってる人が成功するより

 

できるって思ってる人のほうが絶対成功しやすい。

 

 

 

 

わかってるはずなのに

 

ネガティブな発言、考え方のスパイラルにハマっている

 

ポジティブに、という言葉難しいものだ

 

 

 

だけどなるんだ

ポジティブモンスター

 

 

おしまい

遠回りの決意

ここ最近、新生活にも慣れてきて、

 

 

日々をなんとなーく

 

 

 

満たされたような気持ちで過ごしている。

 

 

虚無感からはなんとなく開放され

 

 

忙しさでほんとの自分に蓋をする生活に、やはり逆戻りかって感じで

 

 

情けない。

 

 

 

ほんとに自分のしたいことは何かもわからないし

 

 

 

行動することから常に逃げ続けている。

 

 

新生活の目標は実はためらわないで行動することだった。

 

 

 

思いついたこと、やりたいことを積極的にやってるつもりだけど

 

 

 

それは自分にあまり大きな変化を与えるものではない。

 

 

自分にとってもっと重要な、挑戦と言えるような行動から逃げている。

 

 

 

なにかをして、失敗することに恐れている

環境が変わることに恐れている。

 

 

何かをしたいという願望だけで終わっている。

 

 

願望だけのwant to人間。

 

 

この迷ったあと、願望のあとの自分自身、1秒ずつの行動がこれからの私を左右しているのに

 

 

それをわかって私は何もしていない。

 

 

弱い。

 

 

物理法則では慣性の法則というものがあって

 

 

止まっているものは止まり続け

 

 

動いているものはそのまま動こうとする。

 

 

 

これは人間も同じかな。

 

 

なにか挑戦して、自分自身変わっていく人間は変わり続けて

 

 

 

私みたいに変化を嫌い、これまで変化してこなかった人間は何も変わらない。

 

 

物理法則に従うなら、止まっているものを動かすには力、エネルギーが必要。

 

 

それなら私にも何か力を与えてみよう。

 

 

変わり続けられるきっかけとなる力を。

 

 

 

 

 

そんな簡単に行くわけやいやろーー。

 

 

 

 

それでも何か1秒後の自分のために行動しなきゃ。

 

 

 

幸いにも今までやりたかったけど、やらないで逃げていたことがひとつあるから

 

 

 

とりあえずそれにむけて行動しようと決意した。

 

 

 

 

昔から、ゴールが決まっていて、そこから逆算して自分の進むべき道をクリエイトする人に憧れていた。

 

 

 

だってなんだかかっこいいじゃん。

 

 

 

誰がどう見ても一番近い道を通っているし

 

 

 

意思、行動がはっきりしている。

 

 

 

 

この間まで私もそうなりたいと思っていたが

 

 

私の性分では合わないようだ。

 

 

 

全然うまく行かなかった。

 

 

そもそもゴールも見えないのにそんなの無理だ。

 

 

 

もう遠回りしてもいいじゃないか。

 

 

何回も同じ道を繰り返し通ってもいいじゃないか。

 

 

 

 ゴールが見えなくたっていいじゃん。

 

 

遠回りして、迷って、同じ道通ったって 

 

 

歩けばゴールにはつくんじゃないかな。

 

 

ゴールはきっと何個もあって

 

 

最初から決まったゴールを目指せる人もいるけど

 

 

私はそうじゃない。

 

 

歩き回って、たまたま、たどり着いたゴールが、もともと目指すべきゴールだったって考えればいい。

 

 

だから今は回り道。

 

 

歩き続けることが大事なんだって自分に言い聞かす。 

 

 

 

 

 

 

 

もうそう思うしかないもん。

 

 

 

自分が変わるための力を

遠回りに繋がる一歩を

 

 

今、得たい、歩き出したい。

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

リマインダー

現在私には忘れてしまいたいことがありまして

 

最近忘れられそうってタイミングで見事にリマインダーが現れる。

 

まぁなんかそれが運命なのかとか思ってしまう自分が恥ずかしいですね、、

 

 

まぁそのリマインダーが、鎌倉っていう場所なんですけど。

 

 

大学の友達が鎌倉出身だったり。

 

電車が鎌倉行きだったり。

 

お気に入りのテレビ番組で鎌倉特集やっていたり。

 

後輩が鎌倉に遊びに行ったり。

 

後輩たちの遠足の行き先が鎌倉だったり。

 

なんかなぁって感じで。

 

 

まぁこんな感じで奇跡なくらいでてくる。

 

 

その忘れたいことが夢に出てきたり。

 

 

しかもある程度定期的に。

 

 

夢ってなんやねん。

 

 

自分の意識が問題だと思うと 

もはや自分が恨めてくるぜよ。

 

 

 

 

 

 

時間が解決してくれると信じ

 

 

時間に頼ってる私ですが

 

 

ほんとに頼ってよろしくて?

 

不安になる、心配だ。

 

 

やっぱ私自身の力で何とかするしかなし??

 

 

神様が与えた試練?

 

 

それとも忘れるなっていう神様からのメッセージ?

 

 

 

 

勝手にプラスに捉える自分、恥ずかしい

 

 

期待してしまう自分、つら。

 

 

 

 

 

頑張ってよ私

 

 

 

 

 

おしまい

 

過去を思い出としてとっておくことと固執することは違う。

 

楽しかった思い出や、幸せだった気持ちや、ショックや、悲しみ、憎しみを自分と人生経験して、心に蓄えて生きることは必ずプラスになる。

 

ただ、そのよう感情に固執して、過去を引きずるのでは確実にマイナスだ。

 

過去と今を比べ、過去に今が劣っている、過去のほうが楽しかった、とか

 

過去のイライラや憎しみを引きずり、そのような気持ちを継続しているとか

 

こうなってしまったら今を生きている価値がない。

 

私たちが生きている時間はこの今であって過去ではない。

 

過去に固執したまま今を生きれば、盲目のまま歩き、アリジゴクにはまってしまう。

 

 

盲目のままでは抜けられないし、むしろはまっていく一方だ。

 

でも過去を過去として認識できる人のほうが少ない。

 

きっと周りを見渡せば盲目の人ばかり。

 

 

この今という時間は、過去の生き写しなのか。

 

 

でもそれでは今を生きる意味がない。

 

 

目を閉じて心の中で過去を忘れ、もう一度今という時を見つめ直す。

 

 

流れていく時間を感じる。

 

 

その中で過去の思い出は胸にしまい

過去と現実との間に明確な区別をつける。

 

 

過去は経験なのであって、今ではない。

 

 

 

今を生きているのは1秒前でもなく、1秒後でもなく、その瞬間の自分自身。

 

 

 

 

 

 

行動を起こすのも起こさないのも今の自分。

 

 

 

今という1秒を大切に生きたいね。

 

 

 

 

 

 

おしまい

 

 

1.5倍速

何か自分には余裕というものがない。

 

 

おそらく同じ行動をしていても、他の人と比べて、何か慌てている様子や、いっぱいいっぱいになっているのがよくわかる。

 

 

なにかうまく行かないことを恐れているからだろうか。

 

 

 

余裕たっぷりに生きている人間とは一体何が違うんだろう。

 

 

 

 

そういう人は私と比べて人生何倍も楽しく生きているように見える。

 

 

何か私の中で過ぎている時間は1.5倍速のような気がする。

 

 

こんな余裕のない私ではだめか。

 

 

 

 

やっぱりあたふた生きることはかっこ悪い。

 

 

 

しかもなんか疲れるような。

 

 

でもその自分以外知らない。

 

 

 

 

 

 

アイデンティティは余裕なく生きることなのか。

 

 

 

 

カッコ悪。しょぼ。ださ。

 

 

 

 

 

 

 

それはアイデンティティじゃなくね。

 

 

 

 

 

 

合理化しないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

なにか、自信を持って、余裕を持って生きようか。

 

というか、生きたいという願望。

 

 

 

 

 

 

 

自分の願望は9割願望で終わってしまう。

 

 

 

 

 

あーだっさ。

 

 

 

 

 

 

 

自分に笑えてくる。

 

 

 

 

 

おしまい

のっといなふ

ここ一ヶ月の変化はめまぐるしすぎる。

一ヶ月前の私はテーマパークにでかけたり

お泊りしたりと爆発的に楽しんでいた。

 

 

 

 

 

その少し後に思いがけないサプライズがあったり。

 

 

 

 

そのあとには大きな絶望を経験したり。

 

 

その後幸せに浸ったと思えば

なにかを失ったような感覚に襲われたり。

 

 

不安に飲み込まれそうになったり。

 

 

 

長い長い1か月であり、変化しすぎていてる。

 

得に意味はないが昨年の9月と比べるとだいぶ長い気がする。

 

 

自らの感情の変化が激しい。

 

 

変化やショックに適合するには1ヶ月は短すぎるのかもしれない。

 

 

 

いや多分短すぎるわ。

 

 

 

 

 

こんな嫌な自分、情けない自分、アホみたいな自分、もう少しだけ時間をあげよう。

待ってあげよう。

自分で馬鹿にしたり罵倒したりするのはやめないけど。

ももう少し待ってあげるよ。

 

 

 

 

 

 

 

屈しない。

はいあがる。

 

 

 

 

 

 

 

おしまい